酒についての考察1

酒は私の人生に多大な影響を与えている存在なわけだが、それと面と向かって見つめ合い言語化したことがない気がする。そんなことは私なんかよりもっと酒に溺れ、言葉に深い人が既にやっていることだし、何よりも今後ともお世話になる存在なのだからたかだか酒と出会って2.3年の現在の私がしなくてもよいだろうと思っていた。しかしなんだか今、酒について考察がしたいのです。

何故私は酒を飲むのか。酒によって私は何を得ているのか。なんだろう。忘却?眠りか?

眠りかもしれない。起きている間は思考を自分の意思によって続けなければならず、それに対する自己反省も己の意思を必要とする。それが面倒。苦しいし、傷つく。己を一番傷つけるのはいつだって己なので、その己を眠らせれば傷つく心配も無かろう。こういう思考さえも面倒だし、自分から見ても気持ち悪い。さっきまで読んでいた三島の文章からの影響が見られて、これを第三者に読まれる可能性などを考えると恥ずかしくてたまらない。恥をかくまえにさっさと思考を眠らせたい。そういうワケも酒を飲む一因であるかもしれない。

 

今日は夜早くから500缶の発泡酒を2本飲みながら読書をして、たった今、先日ボトルで買った安ウイスキーの水割りを飲んで早く眠りたいと願っている。ある1日が夜に差し掛かると、その1日を早く終わらせたいと心のどこかで願っている気もする。私は人生が嫌いなのですか?

 

いろんな人たちが心を病んでいる。酒を飲めばいいのに、と私は思った。酒を飲めば、眠ることができるから、心を病ませる問題から逃れることができるじゃないですか。何故飲まないのだろう。

きっと私が知り得る苦悩よりずっとずっと根強いものを抱えていて、酒による眠りなんかでは解決しないものなのかもしれない。実際、私が眠りによって忘れ去ろうとしている苦悩だって、酒を飲んだからといって解消されるわけではなく、次の日目を覚ましたら眼前に立ちはだかっている。だけどひとまず、寂しい夜にその苦悩と一対一で向かい合うよりは清々しい朝に対面する方がまだマシな気がするし、もしかしたら朝は来ないかもしれないという希望を抱きつつ眠るのかもしれない。

私は昔から、問題から逃れる術は眠りだったらしい。今朝中学や大学受験期の日記を読み返してそれを知った。眠りがいろんな問題を解決してくれると思っていたらしい。もしくは、理性ではそう思っていなくとも、身体が本能的に眠らせていたらしい。

 

何故現在の私はシラフで眠らず、飲酒によって眠るのか。理性が成長しすぎたのかもしれない。強い理性を抑えて眠るためには酒の力を借りねばならないのかな。

 

酔いが回ってきて、考えることがどんどん億劫になっていく。眠ったら、1日がこうやって無意味に消費されていくから眠りたくないという気持ちと、早く眠って新しい1日を迎えたいという気持ちが葛藤している。どうしよう。

 

酒の力を借りて生きている人間の話を聞いて、この考察をもっと深めたいなと思い始めた。