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春なのに、恐ろしいくらい幸福で切なさや寂しさをほどよい程度にしか感じないのでとても怖いぞ、2019春。

 

大学3年生としての春休みがそろそろ終わろうとしている。休学をするし、新生活の始まりが5月なので4月も一応何もないけど、春休みとしての日々は残り1週間くらい。

2月の頭から始まった春休み、どんな風に過ごしていたかというと、

人、人、街、人、孤独、人、人、物語、人、人、物語、孤独、人、孤独、人、人、街

みたいな感じな気がする。

山を登ったり下ったり海を泳いだり溺れたり、という感じでもあった気がする。

あんまり覚えてねえ。

とりあえず人に会わねば、と思って人に会っていた。何度も会ってる人と会っても、新たな出会いだ!と感動したりした。たくさん喋っていろんなものを発見したり再確認したりもした。

人に飽きてもう会いたくも喋りたくもないな、と冷酷人間のようになることもあった。

とにかく人だった。

結局人だった。

 

日本にも人はたくさんいるんだな。少子高齢化で人口は減る一方の日本にも意外に。確かに街に出て見かける人や出会う人は自分より圧倒的に年上ばかりで、むしろ年下なんて1人も出会ってない。女子高生とかホントにいるのか?知り合いに1人もいないんですけど。どこで女子高生と出会えるのかとても知りたい、オッケーGoogle女子高生と出会う方法、検索。

 

2年前にインド行った時、なによりもショッキングだったのが人間の多さだった。色んな人に話した気がするけど、数日インドで過ごした後、夜眠ろうと目を瞑ったら沢山の目が暗闇の中でこちらを見てる光景がまぶたの裏で広がって、怖くて眠れなくなった。ちょっと発狂しかけた。街中の景色を占めてるのはほとんど人間で、そんでみんな何の遠慮もなく少し珍しい東洋人の顔をジロジロジロジロジロジロ見る。見られてる時はそんなに気にしてないんだけど目を瞑るとその視線が突然自分を刺してくるという。めちゃ悪夢でした。3週間いたら流石に慣れたけど。

 

まあとにかく人間なのだ、私が生きてるの。人間の中に生きてるな。人間のことしか考えてないし、人間でしかない私も。

クソどうでもいい再認識です。

 

なんかちょっときっかけがあって過去のことを考えたら、過去の人間たちのこと思い出して、その過去のそれぞれの人間たちに抱いていたそれぞれの感情をもう全く思い出せなくて、いや思い出せることには思い出せるけど、もう何も感じることができなくて、切なくなってしまった。失っていくことは本当にいつも切ない。

 

春はこういうことを想起させる季節だから心が落ち着かないんだよなあ。

それだのに今年はそれを上回るように幸福を感じていて、それがめちゃくちゃに怖い。ここまで幸福を切実に感じると、そろそろ死期が近いのではないかとビビる。死んだことないからちょっとよくわからないのですが。

 

書いてるうちに全てがくだらなくなったので終わり。