棚卸し

 

布団にくるまりながら見上げる空は青すぎるし、花粉で目を赤くしたお兄さんは構わず語り続けるし、満員電車のドア付近に寄りかかるお姉さんがボソっと「しにたい」て呟いたような気がするし、嫌んなっちゃうな。

 

5秒に1度は自己撞着が起こること、全然気にしてない。人の感情とか思想は常に生まれ常に死んでゆくけど自分でそれを認知したということはその存在は確かにあったということだし。

ただ疲れる。確かに自分の中に燃え上がった愛情が知らぬ間に燃え尽きて灰になって風に飛ばされていってたことに気がついてしまったら、じゃあ次は何に薪をくべるか考えなきゃならないから面倒だ。

 

長風呂は苦手なのに銭湯が好きなのは、裸の女たちの営みを見るのが好きだからだと知った。裸体の女たちが鏡に向かって体を清めているあの姿はどんなに見てても飽きないよね。男の人を羨んでばかりの21年だったけど、400円払えばこの裸体の女たちの営みをこっそり覗ける一女であることを少しラッキーだと思えた。

公園で読書してキンキンに冷えた体をほぐしに入った立川の銭湯の洗い場で、ぼんやりと鏡に映る自分の顔を眺めていたあのお姉さんの心情を想像しようとすると何かが私を咎める。他人の心なんてわからんのだ。想像するのさえ無礼なのでは。

 

どんなバイトをしても永遠に下っ端でいたいがために新人が入ると辞めてしまうくらい責任が嫌いなわたしは、自分の人生の責任を自分が負わねばならんというこの世の制度が憎らしい。そもそも責任てなんだ。誰のせいでもなく、神様のせいでもなく、問題は起こったりするし起こらなかったりもする。因果応報なんて考え捨てちまえよ。過程と結果があるだけで原因なんてなんもないんだ。あったとしても世界はあまりにも複雑だから一つに絞ることなんて絶対不可能。アホか。

生活の中で毎日人は選択するけど、その選択の責任を自分が負う必要なんてなくて、自分にその選択の契機を生んだ過去があって、その過去を構成するモノモノは我々が知り得ないほどの膨大な積み重ねであるんだから、もし責任とやらを平等に分配していったらほとんど無になるはずじゃないですか。だからいいじゃん。

 

趣味というものについての考察の文を書こうと思ったのにあまりにも日常が儚すぎて全部溶けてしまったので眠ろう。

 

2月はほとんど布団の中で過ごしたから3月は外にひたすら出ていたらお金がいつの間にか無くなってたし、刺激を浴びすぎて体が穴だらけになってしまった。眠ろう。